「花は愛惜」の版間の差分
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+ | 花を愛でて草を嫌うのは人間の都合で、草には迷惑なはなしだ。 | ||
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+ | 豊倹(相対的価値観念)を跳出できない私は謙虚な気持ちになる。 |
2010年8月31日 (火) 16:57時点における最新版
花が咲く春、気になり始める境内の草。
仏教ではすべての存在が仏(一切衆生悉有仏性)と説くが、雑草が生えたお寺はない。
私も草を抜く。その時いつも道元禅師の言葉が頭にうかぶ。
「花は愛惜(あいじゃく)にちり、草は棄嫌(きけん)におふるのみなり。」
花を愛でて草を嫌うのは人間の都合で、草には迷惑なはなしだ。
豊倹(相対的価値観念)を跳出できない私は謙虚な気持ちになる。