沿革
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- 沿革
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- 山号
- 青原林 三峰山
- 寺号
- 浄久寺
- 宗派
- 曹洞宗
- 所在
- 広島県庄原市
- 本尊
- 聖観世音菩薩
- 開山
- 鼎庵宗梅大和尚(徳雲寺二世)
- 開基
- 大富初代 宮氏七代 宮上総守高盛
- 中興開基
- 下尺田屋 近藤五良兵衛
- 沿革
- 天文三年(1534 織田信長の生まれた年)地方豪族宮氏七代高盛は、大富城築城の翌年、一族の菩提寺として、物見が丸の中腹の寺域相応しい清水湧出する地に伽藍を建立。領内の徳雲寺三世木中桂抱大和尚を拝請、徳雲寺二世鼎庵宗梅大和尚を勧請開山として法幢を開いた。
- 山号の由来
- 木中桂抱大和尚は開基宮高盛公から山号の命名を頼まれ「高盛公は久代と五品嶽と大富の三つの城を持つ、よって三峰山と称されるが良い」と仰せられたといわれる。
- 勅使来山
- 当山二世木柱桂抱大和尚と、四世光山善智大和尚はそれぞれ、覚海道智禅師、徳紹為紋禅師の禅師号を、宮中から下賜されている。したがってこの二度にわたる勅使の御来山があり、勅使門が建立されたという。この勅使門は現在の山門で、元の位置は現山門より一段下にあった。十七世蔵宗大和尚が諸堂改修の際に現在地へ移転したが、その門のには大富城北門の扉がそのまま使用されている。また本堂には上段の間がもうけられ、直参内の御袈裟二領が伝承保持されていたという。然し現在はそのどちらもない。