沿革

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浄久寺
  1. 沿革
  2. Gallery
  3. 本堂庫裡建設工事
  4. <html><A href="../gallery3/index.php/sinsan">二十三世晋山結制・本堂庫裡落慶法要アルバム</A></html>
  5. 浄久寺檀信徒アルバム
  6. 浄久寺参拝者アルバム
  7. 安養寺檀信徒アルバム
  8. 写真のアップロードの仕方
山号 
青原林 三峰山
寺号 
浄久寺
宗派 
曹洞宗
所在 
広島県庄原市
本尊 
聖観世音菩薩
開山 
鼎庵宗梅大和尚(徳雲寺二世)
開基 
大富初代 宮氏七代 宮上総守高盛
中興開基 
下尺田屋 近藤五良兵衛
沿革 
天文三年(1534 織田信長の生まれた年)地方豪族宮氏七代高盛は、大富城築城の翌年、一族の菩提寺として、物見が丸の中腹の寺域相応しい清水湧出する地に伽藍を建立。領内の徳雲寺三世木中桂抱大和尚を拝請、徳雲寺二世鼎庵宗梅大和尚を勧請開山として法幢を開いた。
山号の由来 
木中桂抱大和尚は開基宮高盛公から山号の命名を頼まれ「高盛公は久代と五品嶽と大富の三つの城を持つ、よって三峰山と称されるが良い」と仰せられたといわれる。
勅使来山 
当山二世木柱桂抱大和尚と、四世光山善智大和尚はそれぞれ、覚海道智禅師、徳紹為紋禅師の禅師号を、宮中から下賜されている。したがってこの二度にわたる勅使の御来山があり、勅使門が建立されたという。この勅使門は現在の山門で、元の位置は現山門より一段下にあった。十七世蔵宗大和尚が諸堂改修の際に現在地へ移転したが、その門のには大富城北門の扉がそのまま使用されている。また本堂には上段の間がもうけられ、直参内の御袈裟二領が伝承保持されていたという。然し現在はそのどちらもない。